牧師室から

<2021年度>

6月5日(土)

 月日のたつのは本当に早いもので、前回の<牧師室から>を掲載してから随分と日にちが経ってしまいました。コロナ情報に一喜一憂し、教会員の皆様と会堂で、何時になったら礼拝を共に献げることができるのかと、思い悩む日々であります。「なるようになるさ」と開き直り、主にお委ねしてはいるのですが、そこは弱さを持つ牧師、スパッとはなかなかいかないのです。
 多くの集会、行事を中止としなければならない状況の中で、全てのことが「無駄」となってしまうのではと思ったりする時もあるのです。しかし、パウロは「走ったことも労苦したことも無駄ではない」と語っています。主が私たちに働きかけ、望ませ、志を与えられ、皆の祈りが合わされて計画された一つ一つのことは、主の前に無駄ではないのだと信じたいと思います。
 私たちの希望は主です。全てのことを益となしてくださる主を賛美したいと思います。感謝の先取りです。一切を無駄になさらない主に心から感謝を献げ、天を見上げて一足、一足、歩んで参ります。主は最善をなさる御方!!

 

 

4月24日(土)

 またまた、連休を前にして、政府の感染予防対策が強化してきました。「まん延防止等重点措置」から、「緊急事態宣言」へと変えた地域もあります。神奈川県は4/25から、5/11まで、「まん延防止等重点措置」の中に置かれています。
 教会にも大きな影響があることを否めません。今は忍耐の時であるとつくづく思うのです。当教会は、明日からまた、牧師一人の礼拝です。信徒の方々には、送付、送信してあります説教原稿、週報によって、各自、ご自宅での礼拝をお願いしています。
 教会も、信徒の方々も、なすべき事を主の前に問いつつの歩みを、きっちりと進めて行かなければならないのだと思います。闇の中の光である主が、私たちのたった一つの希望の光であります。
 それに致しましても、祈るべきはコロナの収束です。医療関係者諸氏の守りです。病と闘っておられる方々の一日も早い癒やしです。世界の上に、神の憐れみを切にお祈りしてゆきたいと思います。

 

3月28日(日)

 久しぶりに、教会員、教友のみな様と共に礼拝をおささげし、感謝致しました。皆様のお元気そうなお顔に接する喜びは感慨深いものがありました。全ては恵みなのだと、改めて思い、主から与えられている恵みを忘れてはならないのだと、しみじみと感じたことでした。
 2021年度の予算総会も皆様のご協力によって、無事終了し、いよいよ新しい年度に向けて、上を見上げて歩み出しました。コロナもそうですが、本年度も又、多くの試練の中を教会も、そして教会員も通らなければならないでありましょう。2021年度の年間聖句は「試練の中から主を呼ぶと 主はわたしに答えてくださった」(詩編120:1)であります。
試練の中から主を呼んで、呼びまくって過ごしたいものです。答えてくださる主を待ち望み、信じて歩んでゆきたいと、決意を新たに致しております。
どのような2021年という歩みを、横浜上倉田教会は歩んでゆくのでしょうか。私たちを導かれる主が、この教会を愛される主がしっかりと手を取ってくださり、最善をなし、導いてくださることを堅く信じております。ハレルヤ、アーメン。
十字架の主と、復活の主に栄光がありますように!

 

3月20日(土)

緊急事態宣言が、21日で解除されることになりました。しかし、一都三県の感染者数は下げ止まり状態であり、諸手を挙げて喜ぶ状況ではないようです。しかし、横浜上倉田教会は、28日から通常礼拝の状態へと戻ります。もちろん礼拝は短縮礼拝であり、おそらく、多くの教会行事は、2021年も自粛せざるを得ない状態であると思うのですが、それは状況を見ながら、役員会で今後話し合われて行く事であります。
しかしながら、ともかくも、教会員共々に、会堂に集い、礼拝をささげることができると言うことは嬉しいことです。教会は三密をさけ、消毒をし、マスクを常用し、細心の注意を払い、クラスターなど起こさないようにしてゆかなければならないでしょう。宣言解除はなお一層の心の引き締めを私たちに促しているようです。
教会は、3月28日、2021年の予算総会、4月4日のイースター礼拝、4月25日の2020年度決算総会、同日礼拝後行われる墓前礼拝と、忙しい時を迎えますが、教会役員、教会員共々に、主のお働きに参与できるという喜びに満たされます事を願っています。
3月28日からは受難週です。主の十字架の出来事を深く心にとどめ、神の愛と、イエスの恵みに感謝をささげつつ、歩んで行きたいと願っています。

 

3月6日(土)

3月7日までであった緊急事態宣言が、一都三県に対し3月21日までと、二週間延長されました。横浜上倉田教会は7日に予定されていた「震災を覚えて祈る礼拝」を14日に延長して、特別な礼拝と位置づけていたのです。またまた、延長と言うことで、明日の役員会で、どのようにすべきかを話し合うところであります。
各教会は、10年前の東日本大震災を忘れることなく、毎年、祈りを持って礼拝をささげてきたのです。当教会は、募金を募り、当日の礼拝献金と合せて、被災地支援に役だって欲しいことを皆で願ってきたのです。被災によって失われた命、ふるさと、断ち切られた人間関係、それらを忘れることなく、その痛みを共有させていただき、覚えて祈る礼拝をささげてきたのです。
3月11日で、10年目という節目を迎え、今は、コロナの感染拡大に私たちの心は奪われがちでありますが、2011年3月11日に起きた事を忘れることなく、悲しみと悔しさと痛みを分かち合い、祈り続けて行きたい。そのように強く感じています。
今は受難節の中です。「キリストもあなた方のために苦しみを受け、その足跡につづくようにと、模範を残されたからです」(ペトロ一 2:21)のみ言葉が心に響いています。「その足跡」を内に刻み、倣いたい。

 

2月6日(土)

緊急事態宣言が3月7日まで、延長されました。世の多くの方々はこの延長に対して感染拡大への策として憂いながらも賛成しているようです。が、経済的ダメージは非常に大きいと思うのです。大企業の方々はさほど感じないかもしれませんが、中小企業や零細企業の方々には大きな経済的負担を強いることになります。命は守らなければなりません。コロナで失う命、そして又経済的破綻によって失う命もあるのです。政治はそのようなかたがたを救うべく、手厚いを補償を考え、実行して欲しいと願わずにはおれません。
教会はこのコロナ禍の中にあって、粛々と主の業に励みたいと思います。荒れ野の中を歩むような世情にあって、光と、希望とを聖書の中に見いだし、祈りつつ、歌いつつ、共に前に向かって進んで参りましょう。

 「彼らは、荒れ野で迷い  砂漠で人の住む町への道を見失った。飢え、渇き、魂は衰え果てた。 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと 主は彼らを苦しみから救ってくださった」(詩編107:4~6)

「主は渇いたた魂を飽かせ 飢えた魂を良いもので満たしてくださった」
                        (詩編107:9)

 

1月9日(土)

年が明けてから早々に神奈川県を含む一都三県に緊急事態宣言が発出されました。コロナの感染はとどまるところをしらぬかのように拡大しています。
教会は1月10日の礼拝から信徒の方々にはご自宅で礼拝をお守りいただくことに致しましたが、詳細については、10日の役員会で、話し合われることになっています。

苦難についての御言葉が思い出されます。「苦難の中から主を呼ぶと 主は答えて下さった」(詩編120:1)「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」(ロマ12:12)。
神は耐えられないような試練には遭わせられない(コリⅠ 10:13)というのが聖書が示す、私たちへの指針です。
今年も御言葉に寄りすがり、一足、一足、かみしめつつ歩んで行きたいと願っています。

 

 

 

 

 

<2020年度>

12月24日(木)

11月18日から12月10日まで右膝関節置換手術のため入院しておりましたが、12月19日から教会に復帰させていただきました。皆様の熱いお祈りと、励ましをいただき、何よりもインマヌエルの主の憐れみによって、経過も順調であります。加山師、雲居師、そして教会役員の方々、教会員の誠実なご奉仕により、教会は支えられ、20日のクリスマス礼拝、そして今日を迎えることができました。心からすべての方々に御礼を申し上げたいと思います。

今日は聖夜、キャンドルサービスが行われようとしています。御子のお生まれになったこの喜び、すべての民に与えられた大いなる喜びを胸に、主の御前に、新たなる献身をもって、進み行きたいと思っています。

 

11月14日(土)

コロナの感染拡大が止まりません。祈りを強めています。今後の状況を注意深く見つめつつ、消毒、三密、マスク、手洗い、換気などを怠りなく実行して行かなければと思います。
この様なときですが、主任担任牧師であるわたしは、人工膝関節置換手術を受けるため1ヶ月ほど教会を他の先生にお委ねすることになりました。心を騒がせずに、信頼して止まない先生方に講壇を託し、役員、教会員にすべてをお任せして参ります。神を信じ、主を信じ、すべてをお任せできる幸せを感謝致しております。横浜上倉田教会の上に神の祝福が豊かに注がれますように!!

10月14日(水)

 10月11日は神学校日でありました。日本聖書神学校から神学生が派遣され、説教を担ってくださいました。ご自分のお仕事を持ちながら、夜学の神学校で学んでおられます。大変な努力をされておられるわけでありますが、ご自分の努力もさることながら、多くの人々のお支え、祈りがあってのことであると、わが身を振り返り、つくづくと思います。そして何よりも、不思議な神の力と助けが、神学生を囲み、包み、守っているのだと思わずにはおれません。
 わたしも学生の時は、老体を物ともせずに、1時間半から2時間かけて、学校まで通っていたわけであります。帰宅は夜中の12時を回ることもありました。当時は、辛いとも、大変だなどとも感じず、当たり前のこととしての学びでありました。が、どうして卒業までの時をすいすいと過ごすことができたのか。今にして思えば、あり得ないことであり、不思議な、奇跡としか言い様がない、学びの時でありました。
 しかし、もう一度と言われれば、「できません」ときっぱりと答えるでありましょう。「わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける」(イザヤ49:15,16)。
神学生のすべての方々は、神の手のひらに刻みつけられている存在なのです。神の名を運ぶ器として選ばれ、いま、訓練を受けているのです。献身者のすべての方々の健康と学びが祝されますことを!神の守りを祈ります。

 

9月9日(水)

 先週末には九州の方に大型台風が上陸し、大きな被害をもたらしました。九州地方はこのところ災害に見舞われています。コロナ禍の中での災害であり、非常に心痛む事であります。被害からの復旧が一日も早く行われますように、通常の生活が一日も早く戻りますように、祈るのみであります。
 昨日は、自民党総裁を選ぶ選挙の告示がありました。相変わらず派閥の利権、各自の野心と欲望が全面に出ているかの候補者選びです。国民の声に耳を傾け、国民目線に立った政治を望みます。格差の中で、埋没している人々、貧しさの中であえいでいる方々が存在する現実を、福祉の必要性をしっかり見つめ、声を上げてくれる政治家はいないのでしょうか。
 絶望的な政治の世界から目を転じ、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」との聖書の言葉に耳を傾け、祈りを捧げたいと思います。そして、力弱く、体力もない者ではありますが、何をなすべきかを問いつつ、示されたなら、すぐに立ち上がる事ができるように、備えをしたいと思うのです。

 

8月16日(日)

昨日8月15日は終戦記念日でした。戦後75年を経ています。新聞欄には戦争の体験記などがここ数日間載っておりました。親、兄弟、親戚等の愛する方々を失った方々の魂の慟哭が文面から伝わってくものばかりでありました。戦争は終わってはいない。悲しみ、痛みは止むことなく続いているのです。
被爆者の消え去ることのない衝撃的な体験をようやく、ぽつり、ぽつりと語り始める年老いた人々の口は、あまりの悲しみのために、苦痛のために重いのです。
戦争は決して再び起こってはならない、核は廃絶されなければならない。世界はこれを知っているはずでありますが、世界の国々では未だに戦火がやまず、小さな力なき人々が犠牲を強いられています。
「主よ、平和の道具としてわたしたちをお使いください」との祈りを献げ、「歩ませてください、みあとに従い、希望に輝く 平和の道を」(讃美歌21-505,4番)と讃美したいと思います。

誰もが持つ弱さの中に現れれる神の驚くべき力をキリスト者に自覚させてください。祈り求める者に、上からの溢れる神の力をすっぽりと着せていただきたいと、小ささを自覚し、自分の弱さに嫌気がさしている牧師は、今日も切望しているのです。

 

7月25日(土)

コロナの感染拡大が止まりません。世界を取り囲む状況は大変厳しいものがあります。7月17日(金)には神奈川県に「神奈川警戒アラート」が発動されました。教会はどのような選択をすべきなのかと、神に祈り、主が道を示して下さることを願いながらの歩みであります。
今年も、豪雨が各地を襲い、コロナとの戦いの上に、さらなる苦しみが追い打ちをかけています。世界の政治的状況も不気味な動向を示しています。大国同士、ギクシャクとし、牽制し合っています。光が見えないような中にあって、「私の目にあなたは値高く、貴い」との主のみ言葉に励まされています。「彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し 形づくり、完成した者」(イザヤ43:7)神がそのように、被造物に対して言われるのであるならば、大丈夫。必ずや、回復の時が来るでありましょう。いたずらに怖じけることなく、引くことなく、「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」(イザヤ43:5)とのみ言葉を握りしめ、心を高くあげて歩んで行きたい!!



6月10日(水)

6月7日(日)の役員会において、緊急事態宣言解除に伴う、今後の礼拝再開に関する教会の方針が決まりました。会堂での信徒の皆様との礼拝を6月14日から再開することと致しました。2ヶ月ぶりの教会会堂での礼拝再開です。早速このお知らせを信徒の皆様に書面をもって送信、郵送させていただきました。当面は縮小礼拝となります。コロナの状況を見極めながらの礼拝再開となります。状況によっては、また、逆戻りの可能性も秘めています。非常に変動的なことになろうかと思われます。
教会は、三密を防ぐいろいろな努力を致します。役員の思いが一つとなり、一歩前に踏み出すこととなりました。神様のお導きを信じての決断です。「主の山に備えあり」。主から目を離さずに、共に進んで行きたいと願っています。

 

 

5月27日

政府の緊急事態宣言が解除されました。しかしながら、まだまだ油断できないコロナとの戦いが続きます。31日はペンテコステ礼拝ですが、横浜上倉田教会の一人礼拝は続きます。長い信仰生活の中で、初めての経験です。歴史を振り返るときに、このような大きな試練は度々起きていたことを思います。私にとっては初めての驚くべき歴史の一コマであります。戦争を体験なさったある牧師は、その時のことを思えば、コロナはそんなに驚くべき出来事ではない。とお話しされておりました。人類の英知が一つとなり、思いを一つに、コロナウイルスとの戦いに勝利することができますようにと祈るのみです。このために多くの戦いを強いられているすべての人々の上に、神様の憐れみを切に願います。主の平和がすべての人々の上にありますことを!耐えられない試練に遭わせることはないとの神の約束を信じて行きたいと思います。

 

5月10日(日)

 本日の礼拝から6月7日の礼拝まで、教会員は、各自ご自宅で礼拝をお守りいただくことに致しました。政府の緊急事態宣言延長を受けてのことであります。礼拝後に何人かの方々は、同時刻に神の前に礼拝を捧げたことをお知らせくださいます。本当にそれは嬉しく、感謝なことであり、多くの励ましと慰めとを受けております。
 私は一人で礼拝を守っておりますが、奏楽をし、賛美歌を歌い、祈り、説教をし、ご自宅で礼拝を守っていてくださる方々を思い、その方々に向かい、最後の祝祷を祈るのです。主が共におられる、なんとも恵まれた、祝されたひとときを持たせていただいております。
 コロナの影響は甚大で、世界中で多くの命が失われています。神の憐れみを切に祈るものであります。経済の破綻、貧困、子供たちの教育、等々、心配すべきことが山積しています。一日も早い終息をすべての方々と共に祈って行くことを願っております。

 

4月12日(日)イースター礼拝

 本日は、主のご復活を覚えて捧げられるイースター礼拝です。しかし、コロナウイルスの影響で、横浜上倉田教会は、本日の礼拝から、5月3日(日)の礼拝まで、各自ご自宅での礼拝を守っていただくことと致しました。しかしながら何十年も続いてきた礼拝の灯火を消してはならないとの思いで、牧師は、一人で、いつものように礼拝を守ります。そのような覚悟でおりましたが、感謝なことに、3人での礼拝となりました。
 豊かな主の恵みを覚えて、感謝致しました。一日も早い、コロナウイルの終息を願っています。病に苦しんでおられる方々、医療従事者とその御家族、主にある兄弟姉妹の健康等、祈らずにはおれません。
 全世界の祈りが神の御許に立ちのぼり、神の憐れみが注がれますことを願っています。何でもない日常生活が普通の生活が、世界の人々の元に一日も早く訪れますことを祈ります。

 

1月25日(土)

 年が明けてから、早いもので、今日は25日です。今年は1月1日に親族が我が家に集まり、大変楽しい時を過ごしたのですが、なんと次の日から熱が続き、土曜日まで、食べられず、ひたすら寝ておりました。まさに寝正月でした。しかし、5日の聖日には説教をしなければならず、熱の下がったのをいいことに教会に出席し、役員会までさせていただきました。
 その後、なかなか元の調子を取り戻せずに、いやでも年を感じております。しかし、食欲も出てきており、睡眠も十二分にとるようにしていますので、体もしっかりと回復傾向にあることは感謝なことです。
 ご奉仕をさせていただくために、もっと、いつも元気でいたい。そのように願うのですが、どうもそのようにはいかないようです。しかしながら、「私の恵みはあなたに十分だ」という主の声が聞こえてくるのです。私は今年も、老いを感じ、いろいろな弱さを露呈しつつの歩みでありましょう。しかし、主に赦しを乞いつつ、教会員に祈っていただき、十分な主の恵みを数えながら、歩んで行きたいと思います。